◆PROFILE
丸野 透
2022年6月入社
海外事業企画部 事業推進課 兼 Marugame Udon BU 事業推進課 東南アジア課 課長
関西外語大学 国際言語学部 国際言語コミュニケーション学科卒
在学中に学生国際協力団体を立ち上げ、卒業と同時にフェアトレード事業で独立。その後、フィリピンに渡り現地日系ベンチャーへ入社。結婚を機に、ぺんてる株式会社へ転職し、貿易実務・海外子会社サポートの実績が評価され、29歳でメキシコぺんてるの社長に就任。トリドールホールディングスへは2022年にジョイン。海外事業推進の中核人材として、高い存在感を発揮している。
・個人事業主、ベンチャー企業、大手企業の海外子会社社長など…
異色の経歴を持つ丸野さんですが、そのキャリアの原点はどこになりますか。
はじめてビジネスに触れたのは、大学生のときです。大学2年生のときに学生国際協力団体を友達数人と立ち上げて、代表として活動していました。活動内容としては、フィリピンにおけるフェアトレード活動や、ネパールに井戸をつくるための街頭募金活動、国連女性機関(現在はUN Women)での翻訳ボランティアなどです。100名以上の学生ボランティアが参加する団体へと成長することができました。
・なぜ学生国際協力団体を始めようと思ったのですか?
昔から国際協力には何となく興味があったんです。でもいざ大学に入ったら、そういった活動を行う団体がなかった。それなら自分たちで立ち上げようと、軽い気持ちで始めたんですただし代表者として寄付をしていただく人たちへの説明責任もあるので、NPO団体や他の学生団体に訪問して勉強させてもらい、団体を設立・運営していくうちにどんどんのめり込んでいきました。さらに大学3年生ときにフィリピンに語学留学にも行ったのですが、そこで貧困の問題を目の当たりにして、「これは本気で取り組まないといけない」と思うようになりました。
・すごい行動力ですね。昔から国際協力に興味があったんですね。
ぼんやりとした国際協力への興味はありました。また、外の世界への憧れみたいなものは強くありました。私の地元は結構な田舎で、学校に行くのにもバス停まで40分ほど歩いて、数時間に1本しか来ないバスに乗って行くみたいな場所でして。狭いコミュニティの中で育ったからこそ、外の世界にものすごい関心があったんです。「外の世界を見てみたい」という想いが、自分の原点にあるのかもしれませんね。
・大学卒業後は、個人事業主として事業をスタートさせることになりますね。
そうですね。学生団体のときにやっていたフィリピンでのフェアトレード事業をこのまま終わりにするのはもったいないし、現地の生産者とのつながりもありました。そして挑戦するなら若くてできる時にやっておきたかったので。雑貨の販売を中心に自分でビジネスを起こすことにしました。すると、あるとき「バナナチップス」が飛ぶように売れて、大成功を収めます。でも、本当なら嬉しいことなのですが、売上のボリュームが出てくると大量生産の経験がなくビジネス経験のない生産者との仕事だったので、生産管理が大きな課題となり、販売を一旦中止する事に。そこで、フィリピンに飛び、現地で問題に対処することになりました。
販売を一時中止してフィリピンでバナナチップスの対応を行っている間、自身の生活もあるので、現地の日系ベンチャーに就職することになります。この会社は「0円留学」という面白いビジネスをしていて、日本人留学生が半日コールセンターで働くと、半日学校で勉強を教えてもらえ、学費や滞在費などが無料で語学留学できるというサービスを展開していました。入社当時は社員10名ほどの規模でしたが、2年間で200名以上の会社に成長。私もマネージャーへ昇格し、ビジネスの根幹を担っていました。
・そこからぺんてるに転職しますが、その経緯は?
フィリピンで結婚して子どもが生まれ、「そろそろ生活を安定させないとな」と思うようになったのが一番の理由ですね。フェアトレードや支援事業のほうも別の団体にお願いすることにし、家族中心の生活に切り替えることにしました。
これまで海外と接点が大きいビジネスや生活を送ってきたこともあり、日ごろから「日本の品質の高さ」には驚かされていました。例えば、支援活動でボールペンを子どもたちに配ったことがあるのですが、現地で仕入れたら3分の1以上書けないものだったりして。日本だったらありえないですよね。そんな経験もあって、高品質な日本の製品を海外に発信するビジネスで、それも多くの人が触れるものを届けたいと思い、日本の大手文具メーカーである「ぺんてる株式会社」へジョインすることに決めました。
・入社後2年でぺんてる子会社社長に就任。ものすごいスピードでの昇格ですね。
そうですね。最初は海外出向要員として入社して、貿易実務と、台湾・インドなどの海外子会社のビジネスサポートを行っていました。この業務以外にも色々と会社に貢献する実績を上げていて、そのことがきっかけでメキシコぺんてるの代表取締役社長を務めることになります。ビジネスは非常に順調で就任1年目で過去最高益を更新。2年目に新型コロナウイルスが流行しますが、競合他社が売上を大きく落とす中、利益を維持することができました。
・社長業は順調だったようですが、なぜ転職をすることにしたのですか?
メキシコの政治的事情やコロナ禍もあって、家族と3年近く離ればなれで暮らすことになってしまったんです。確かに仕事は順調でしたが、家族とともに過ごせないのでは意味がありません。また、成熟産業でもあったので、爆発的な成長は事業においても自身においても訪れないだろうなと思い、新しいフィールドを探すことにしました。
・なぜトリドールホールディングスへのジョインを決めたのですか。
家族と一緒に暮らすため日本に軸足をおいて働きたかったというのがひとつ。もうひとつは自分の成長を促進できるような、成長著しい企業で挑戦したいという想いがありました。そこで、コロナ禍においても大きな成長を見せていたトリドールに関心を持ちました。飲食業は初めての挑戦になりますが、日本の良さを世界に発信するという意味では、ぺんてる時代と同様の価値観で働くことができますし、海外に長く暮らしていて「日本食」というブランド価値や可能性も強く実感していました。
特に自分の考えとマッチしたのは、複数の事業軸をもった経営を行っていること。社長時代もこのことはすごく意識していて、他の子会社がボールペン販売に注力する中、メキシコでは工業用マーカーや画材などにも力を入れ、複数の軸を持っていたことでコロナ禍を上手く乗り切った経験があります。トリドールも丸亀製麺だけでなく様々なブランドを展開してバランスをとっていることに共感したことが大きいですね。
・トリドールホールディングスでの仕事について教えてください。
入社後は、海外子会社やFCの経営層と経営課題の認識を共有し、本部にある様々なリソースを活用しながら、経営をサポートする役割を担っています。海外事業本部は優秀な人材が多く、ワンランク上のレベルで仕事ができていることを強く実感しますね。スピード感も非常に早く、求められることも大きい。でも自分が機能しないと、海外でのビジネスが停滞してしまうので、使命感を持って業務に臨んでいます。
・仕事をする上でのこだわりはありますか?
常に全体像を把握すること。そして、優先順位をつけることを意識しています。私はスペシャリストではなく、ジェネラリストタイプの人間です。スペシャリストの方々をリスペクトしていますし、意見もよく求めます。でも、それらを把握したうえで、全体をどう動かしていくか決めるのはジェネラリストだからできることだと思っています。
昔から1つのことを0から80くらいまでやると満足してしまう性格なんです。80から100にするのはものすごく大変なことだし、それがスペシャリストと呼ばれる人になる。でも私は80から100に伸ばすのに時間を使うより、また0から違う景色を見てみたいと思うタイプなんです。そういう意味では、今の仕事は私にとってベストなポジションだと思います。国や業態が違えば、やることも必要な知識もスキルも変わってくるので、0からやれるチャンスがたくさんありますから。
・今後、挑戦していきたいことはありますか?
先ほどの話しの続きになりますが、本当に0から何かを生み出していく仕事がしてみたいです。ベンチャー時代も、社長時代も、現在の業務でも、既存のものを育てていく仕事で、本当に0から作り上げていく仕事はまだチャレンジしたことがありません。全くなにもない状態から、自分自身が主体となってリードしていき、「自分がこの仕事を成し遂げたんだ」と胸を張れるようなプロジェクトに挑戦していきたいと思っています。トリドールではそういったチャンスに巡り合える機会が今後たくさんあるはずです。そのチャンスを逃さず、成長につなげていきたいと思います。