入山章栄 こんにちは。早稲田大学ビジネススクール教授の入山章栄です。経営学者として私の専門は経営戦略論、国際経営論で、DX(デジタルトランスフォーメーション)のテーマも扱っています。おかげさまで最近では、DXの講演会にお招きいただいたり、さまざまな企業からご相談を受けたりする機会も増えました。
「丸亀製麺」でおなじみのトリドールホールディングス(以下、トリドールHD)は、かなりのDX先進企業です。今回はその立役者、執行役員 CIO/CTOの磯村康典さん(BT本部長)に、なぜトリドールHDのDXがこれほど成功したのかについて、詳しくお話をうかがっていきたいと思います。
磯村さん、よろしくお願いします。さっそくですが、まずはスタート地点のことを教えてください。
磯村康典 よろしくお願いします。まず、私がトリドールHDに入社して、CIO(最高情報責任者)の職に就いたのは2019年9月で、それからDX推進の取り組みがスタートしています。
就任してすぐ、2つのことに取り組みました。1つ目は、社内へのヒアリングです。現場の責任者、それから事業会社の幹部クラスに、既存の業務システムにどんな不満や要望があるか、聞いていきました。2つ目は、財務諸表の確認。社内のITコストは、実際どれくらいかかっているのか、把握するための作業です。会計上の仕分けとしては正しいけれど、IT費用に振り分けられていないITコストはところどころに埋まっています。総勘定元帳をひっくり返して調べていきました。
こうして、自社が置かれている情報システムを取り巻く実態について、社員の皆さんの感情といいますか温度感みたいなところと、数字(金額面)の双方を把握することから手をつけていきました。
入山 実情を把握されてみて、いかがでしたか。
磯村 そのときに思ったのは、現場の皆さんは、「既存の業務システムのままではやりにくいから、どうにかしてほしい」という気持ちがあったこと。そして、私自身がCIOというポストで着任したことも象徴的ですが、トップを含めた経営層も強い危機感を持っていました。トリドールHDではかねてから、「真のグローバルフードカンパニー」になる、というビジョンを掲げています。今後、この高い目標を達成するためには、変化に対応して、成長スピードを上げる必要があるのではないか。従来のやり方は、海外展開への足かせになるのではないか。こうした認識を持っていたのです。これは、DX推進をドライブさせていくために重要なポイントだったと思います。
入山 ヒアリングによって、社内の状況が明確になっていったわけですね。
磯村 では、具体的にどうしたか。会社がスピーディーに成長していくには、自前でIT資産を持つのではなく、身軽な体制や仕組みのほうがよいだろう、と考えました。そこで打ち立てたのが、(1)「オンプレミス」と呼ばれる自前のシステムで運用することをやめて、クラウド上で動作するソフトウェア「SaaS(ソフトウェア・アズ・ア・サービス)」の利用に切り替えていく。そして、(2)バックオフィスの定型業務は、BPO(ビジネス・プロセス・アウトソーシング)を活用する。この2点です。こうした大筋のビジョンを描いて、2019年12月、のちのDX戦略「DXビジョン2022」の下地となる、「ITロードマップ」としてまとめました。
入山 ちょっと待ってください! 磯村さんが執行役員CIO/CTOに着任されたのが9月ですから、3か月で社内の実態をつかんで、12月にはだいたいの方針を決めていたわけですか。
磯村 そういうことになりますね。
入山 SaaSへの移行だけでなく、あわせてBPOを活用したことはすばらしいと思います。これは、「言うは易し」ですが、実際にやるのはとてつもなく大変なことですよ。BPOについては、社内の体制にも関わる大きな改革だったのではないでしょうか。また、SaaSを取り入れるにしても、現場の皆さんに使ってもらうために、場合によっては組織風土を変える必要も出てくるかもしれません。そして、このあたりの課題を乗り越えられないから、日本企業の多くはDXが進まないのだ、と私は考えています。率直にうかがいますが、磯村さんはどのように進められたのでしょうか。
磯村 まずはバックオフィスの定型業務で、BPOを活用したことについてお話ししましょう。私がCIOに就任する前からすでに、ホールディングス(持株会社)からシェアードサービス会社(グループ内の複数企業に重複するコーポレート業務――経理、人事、コールセンター、情報システムなどを集約させ、その業務を担う)が切り出され、分社化されていました。
DXを推進するにあたって、このシェアードサービス会社の社長を、私が務めました。CIOと兼務したわけです。つまり、バックオフィスのオペレーション機能の業務部門はすべて、私の配下としたのです。こうすることで、シェアードサービス会社の社長としてBPO化を、CIOとしてSaaS化を、それぞれ推進しやすい立場となったのです。
入山 いまおっしゃられた、役職の「兼務」は、DXを推進するうえで重要なポイントですよ。経営学には「経路依存性」と呼ばれる現象があります。どういうことかというと、社内の仕組み――オペレーション業務などは、暗黙知もあって、それなりに噛み合っていて、うまく回っているケースがよくあります。それだけに、ある仕組みが1つだけ時代に合わなくなったからといって、そこだけを変えようとするのはかなり難しい。したがって、仕組みの全体を変える発想が大事です。
だから、DXに取り組むうえで手っ取り早い方策として、私がよく申し上げるのも、実は、役員の兼任です。よくある話で、全社的に推し進めたい事業やプロジェクトを経営会議にあげても、対立してしまい、物事が進まないことは少なくありません。ところが、1人で複数の役職を兼任したら、対立する問題があっても自分の中で解消されますからそれを防ぐことができ、物事がスピーディーに進む。まさに磯村さんは、それを実践されたわけですね。
磯村 次に、SaaS化への取り組みについて。SaaSに移行する前段階として、2019年12月~2020年4月、3つのことに取り組みました。
(1)データセンターにあった自社のサーバーをクラウド(AWS=Amazon Web Services)上のサーバーに移して、IaaS化しました。つまり、自社システムはひとまずそのままですが、データ関連の保管先をクラウドに置き換えたのです。そして、それだけでは、社員の皆さんはDX推進を実感できないだろうと思い、(2)従来の財務会計システムを、クラウド対応のシステム(米オラクルのクラウドERP「ORACLE NetSuite」)に切り替えました。ちなみに、以前のシステムは国内基準にしか対応していなかったので、グローバル会計に対応できるものを採用しました。また、全社員が恩恵を感じられるように、(3)マイクロソフトの「Office 365(現・Microsoft 365)」を導入しました。
入山 既存システムのフルクラウド化、ERP(統合基幹業務システム)の完全切り替え、それから、コミュニケーションツールとして、ウェブ会議に便利な「Teams」を含む「Office 365」を使い始めた、と。社内では「あれ?なんか、変わってきたね」と思われたのでは。
磯村 DX推進に向けて「IT部門の意識が変わったな」という感覚を皆さんに持ってほしかったので、少し無理を押しながらもやり遂げました。ちなみに2020年4月のタイミングは、コロナ禍の中で緊急事態宣言が出て、本社ではリモートワークや在宅勤務が中心になりましたから、ウェブ会議で「Teams」を使う機会が増えました。結果として、「Office 365」の導入時期はよかったですね。いずれにしても、自部門から身を切る感じで取り組まなければ、こういった変革はできないものだと思います。
入山 さて、2020年5月から始まった「フェーズ2」では、いよいよSaaSへの切り替えが進む、という展開です。どのようなことに取り組んだのでしょうか。
磯村 それこそ、緊急事態宣言下にあった2020年4月、5月は、事業への影響が大きく、大変な時期でした。なぜならその頃、主力の「丸亀製麺」は、お店に来ていただいて食事を提供する業態で、外出自粛の影響を特に受けやすかったからです。お会計も現金でしかできませんでした。
とはいえ、「丸亀製麺」をはじめとするトリドールHDの強みだと思いますが、現場は「変化」への対応に慣れています。その後、テイクアウト用の「丸亀うどん弁当」を展開すると、6月、7月には業績を9割近く回復させることができました。そういった状況を踏まえ、バックオフィスの業務効率化に続いて、もっと現場の店舗で役立つ改革に取り組んでいくことになりました。
入山 「丸亀製麺」がSaaSに切り替えられたのは、そういった背景もあったのですね。たとえば、現場では、どんなことが変わっていったのでしょうか。
磯村 ひとつには、「丸亀製麺」のPOSシステムをすべて入れ替えました。これは、「うどん弁当」の登場によって、「丸亀製麺」でもテイクアウトができるようになったこととも関係しますが、フードデリバリーサービス(Uber Eats、出前館など)やモバイルオーダーを受けられるようにしたかった。しかも、スタッフがフードデリバリーサービスからの注文を、ひとまとめで閲覧できたほうが使い勝手がいい。従来のPOSシステムではそうした操作ができなかったので、SaaSに切り替え、iPadで使えるサブスクリプション型のPOSアプリ(NECモバイルPOS)を導入したのです。
入山 それなら、現場は助かりますね。ただ、多くの会社が悩むのは、現場はデジタルに慣れていなくて、アナログで頑張るところもまだあること。でも今後は、現場の皆さんが使う業務システムをどんどんデジタルへと変えていかなくてはなりません。そのときのご苦労はそうとうあると思いますが、実際に変えてみていかがでしたか。
磯村 POSに関して言えば、いろいろなメーカーのPOSがありますが、操作はタッチパネルを使うことがほとんどです。ですので、現場では、タッチパネルでの操作には慣れていました。いわば、それがiPadをタッチすることに変わっただけ。iPadは操作性がいいので、あまり違和感はなかったと思います。
入山 それにしても、「フェーズ1」でのフルクラウド化、「フェーズ2」でのSaaS化、社員の皆さんが話を聞いたときには、驚かれたのではないでしょうか。ほかに、社内での承認のプロセスも気になるところです。
磯村 それはですね、やはり急に言い出しても、「絵空事では」と見られてしまいますから、さきほど申し上げた2019年12月発表のロードマップをまとめた段階で、すべてのシステムはどのSaaSに入れ替えるか決めていました。さらに、すべて見積もりを取って、初期コストはいくらか、ランニングコストは最終的にどのくらいになるか、これらも概算で出して、取締役会で「これを実行させてほしい」とかけあったのです。
たしかに、あまり大きな投資となる場合は、なかなか話を進めづらいものです。実は、ここでもSaaSを活用するメリットが生きてくるのですが、SaaSの利用料金はサブスクリプション方式です。ということは、IT投資は1円もかけていなくて、すべて費用として計上される。そして、PL(損益計算書)のうち、売上高に対するIT費用がこれまでと変わらないか、あるいは、比率が下がるような計画を立てたのです。取締役会では「BS(貸借対照表)に資産は増えませんし、実行していいですか」と説明したところ、反対もなく、承認されました。
入山 説得力がありますね。磯村さんはファイナンスのバックグラウンドもお持ちなのですか。
磯村 私は前職で投資会社に8年いたので、こういった財務状況の調査や分析に知見があったのです。
入山 いま、コストの話が出ましたけれど、さまざまな機能をクラウド化したり、SaaSを取り入れたりすべき理由は、コストが安く済むことです。私もDXをテーマとする講演でよくお話ししています。やはり自前でシステムを持つことに比べて、SaaSを活用したほうが安い。自前の巨大なサーバーではメンテナンスにそれなりの費用がかかりますから。
磯村 たしかに、クラウドやSaaSを利用するのは高いと思っている人はけっこういますね。でも、さきほど申し上げたように、概算すると、安く済む場合も少なくないと思います。ただ、SaaSに切り替えられない理由として、「業務を合わせられない」ということがあります。
実際、私たちもそこにいろいろな課題がありました。たとえば、現場である店舗では、発注やレシピ管理など、外食業界特有の業務内容がありましてね。これまでなら、場合によって、自社独自の仕様となるシステムを用意していました。ところが今回、ベンダーに提供してもらうSaaSを利用しつつも、そのあたりの業務をどうしたら標準化していけるか考えた結果、SaaSのパートナーを選び分けることにしました。
入山 興味深いですね。どういうことでしょうか。
磯村 たとえば、基幹の業務システム――前出のオラクルやマイクロソフトのようなグローバル水準のソフトウェアは、私たちがその仕組みに合わせていこう、慣れていこう、と。一方、飲食店特有の受発注システムやクラウドPOSなどでは、一緒に取り組めるパートナー企業(ベンダー)を探し、「トリドールHDの要件をシステムの標準機能として取り込んでもらえないか」と依頼し、交渉したのです。外食業界に特化したソリューションを扱うベンダーであれば、私たちもビッグユーザーのひとつとして声を聞いていただきやすい。同時に、当社の要望に応えるかたちで実装された標準機能は、そのまま展開(一般販売)してよいとお話していましたから、ベンダー側にもメリットがあることでした。
入山 なるほど。そういうやり方をしたわけですか。
磯村 いま、店舗の業務システムはすべて、SaaSに切り替えていこうとしています。基本的には、トリドールHDでしか使えないシステムの仕様はなくしていく方向です。なぜなら業務システムに関しては、外食産業や日本企業共通のものがほとんどなので、それならば、ベンダー側に提供してもらうシステムを私たちが使ったほうが、それこそ「身軽」です。もっと言うと、そのシステムは、標準機能としてメンテナンスもしてほしい。iOSのアプリのように、機能の追加やセキュリティの修正など、常に最新の状態にアップデートされるようにしてもらえたら、という意図もありました。
入山 トリドールHDでは、「手づくり」「できたて」「人のぬくもり」ある接客を標榜されていて、サービス、接客の評価はかなり高いと思います。もともと日本企業の特長は、現場が強かったことだと思います。ところが現在は、人手不足なども影響して、現場は忙しすぎて疲弊しています。デジタルを導入する価値は、ここにある。現場の仕事がラクになり、本来のサービス業の本質である、お客さんにもっと向き合って「人でないと、できない価値」の提供に集中できるようになるからです。言うまでもなく、接客で本当に必要なことは、「気持ちのいい店員さんだ。また来よう」とお客さんに思ってもらう――そこにありますよね。トリドールHDでも今回のSaaSの導入により、店舗業務の仕事はラクになって、より接客に集中できるようになったのではないでしょうか。
磯村 まさにおっしゃっていただいたことを、私たちは目指しています。トリドールHDでは、ミッションとして、お客様への「食の感動体験」の提供を打ち出しています。それは誰が生み出しているかと言えば、お店のスタッフであり、最も上手くできる人は店長です。しかし、外食産業全般に言えますが、店長はとにかく忙しい。忙しい業務は主に2つあります。
1つ目は、ワークスケジュールです。お店で働く皆さんのシフトを組むことですね。シフトのスケジュールが埋まらないと、やはりメンタル的に疲れるものがあります。2つ目は、発注業務。発注は毎日ありますが、数を決める行為にプレッシャーをともないます。ロスが出たらどうしよう、と。そのため、店舗のスタッフとしては、責任を負わされるから、できれば自分は決めたくないな、という気持ちもあるわけです。そこで、この2つの業務をなんとか自動でできないかと考えています。
入山 そのための解決策とは。
磯村 そこで取り入れ始めているのが、AI(人工知能)による「需要予測システム」です。簡単に言うと、過去データと天気から需要を予測して、発注数などを決めていくもので、その精度がだんだん、店長が出す数字よりもよくなってきています。優秀な店長にはおよびませんが、平均値は上がってきました。ゆくゆくは、全店舗にこのシステムを展開していきたいと考えています。
さらにシステムの精度が上がれば、ワークスケジュールの作成にも応用できるはずです。需要予測システムのもと、この日はこれくらいお客さんが来そうだから、スタッフを何人あてる――こういったスケジューリングが自動でできるようになると思います。
入山 いままでは店長が受発注の責任を持っていて、そのプレッシャーもあって心を奪われていたのが、受発注に関しての責任は本社側が持つ、ということですか。そうすると、店長の時間に余裕が生まれ、心の負担も相当減りますね。
磯村 ええ。店長にとっては「システムがそう示しているから」と言える状態にあったほうがプレッシャーは減りますから。一方でそれは、IT部門側がシステムに責任を持ち、数値が悪ければ、IT部門で原因を究明し、改善していかなければいけないことを意味します。つまり、DXによって、会社の仕組み自体が変わったと言えますね。すると、店長は接客の仕事に集中でき、それがお客様への「食の感動体験」を生む。これこそが、店舗でのDXに取り組んでいる最大のポイントだと思います。
入山 これまで伺ってきたことからもわかるように、トリドールHDの取り組みは日本における最先端のDX事例です。私が知る限り、データをクラウドに移して、SaaSを取り入れることまでやっている会社は、日本の企業ではそう多くありません。そして、トリドールHDではさらにもっとやれるとさえ私は思いますが、この先のDX推進の展望としてはどのようなことを考えていますか。
磯村 すでに複数のSaaSを導入してきたので、SaaS間のデータ連携が次のステップだと考えています。グローバル企業が取り入れているような先端レベルを目指して、自社のさまざまなデータを一元管理するデジタルデータマネジメントプラットフォームを構築したい、ということです。
入山 驚きました!トリドールHDが持たれているその課題まで、ほとんどの日本企業はいけていませんよ。たとえば、アメリカではすでにクラウド、SaaS利用が進んでいて、SaaS間の連携はビッグビジネスになっています。そのためか、外資系のベンダーが日本市場をビジネスチャンスととらえて進出しようとしています。私もそういった相談を受けることがあり、また、応援したいのですが、「日本ではまだちょっと早い。日本企業はまだそこまでいけていない」と話しています。
磯村 おそらくそうでしょうね。そして私たちが、日本で数少ないSaaS連携を欲している企業だと思います。込み入った話をすると、現在、複数のSaaS間でのデータ連携ができるように、マイクロソフトのActive Directory(アクティブディレクトリ)を軸として、すべてのシステムがシングルサインオン(一度の認証で複数の業務システムを利用できる仕組み)で統一できている状態です。そこにデータを集めたり、データレイクに貯めたり、iPaaS(複数のサービスを統合して管理するクラウド上のプラットフォーム)を入れたり、といった構築を進めている最中です。
入山 店舗でのDXについては、いかがでしょうか。
磯村 それも、もう2つ取り組みたいことがあります。1つ目は、デジタルマーケティングプラットフォームの強化です。
これは、フードデリバリーサービスの導入もそのひとつとして実現できましたが、ほかにも店舗で使うクーポンや、紙で配布している株主優待券などのデジタル化に取り組みたい。また、ポイントプログラムへの対応もそうです。現在は「dポイント」に対応していますが、ほかにも有名どころは一通りそろえたいと考えています。
いずれにしても、店舗で発生する販促や集客などもすべて、デジタルに置き換え、店舗オペレーションはひとつのPOSシステム(POSアプリ)に集約できるように取り組んでいきます。
入山 お客さんが便利になるように、ということですね。もう1つ取り組みたいことというのは。
磯村 2つ目は、エネルギーマネジメントです。トリドールHDが展開する業態の性質上、水光熱などのエネルギー消費、食品の廃棄ロスには、きちんと向き合い、削減していかなければならないと考えています。地球環境課題にも積極的に取り組み、持続可能な社会をつくっていくために、やらなくてはならないことですから。実は、さきほどの需要予測システムを用いると、食品ロスはもちろん、エネルギーに関しても最適化できると思います。
入山 詳しく教えてください。
磯村 たとえば、うどんの調理では、水はずっと出しっぱなし、お湯も沸かし続けています。ですので、コスト面でも、かなりのガスや電気代を使っているので、ここもきちんとマネジメントしようと動き出していて、厨房機器メーカーや空調メーカーとの話も進んでいます。どういうことかと言うと、たとえば、「丸亀製麺」ではうどんの出る(売れる)量によって、使う火力を変えています。
入山 お客さんがたくさんいらっしゃるピークの時間は火力が上がる、アイドルタイムは弱火になっているのですか。
磯村 そういうことです。お客さんが多くて忙しい時間帯はたくさんのうどんを茹でられるように、火力を強めているのです。これまでは人手でコントロールしていましたが、厨房機器と需要予測システムを連動させ、火力を自動で変えられる仕組みを取り入れようとしています。すると、店舗のスタッフが火力を気にしなくていいし、閉店すると自動で電源が切れるようにしたら、火災のリスクも減るでしょう。空調も同じ考え方ですね。お客様が多いときは冷房を強めにして、逆なら弱めてエネルギーを削減する。いま、これをなんとか実現させようと取り組んでいます。
入山 それもやはり、トリドールHDの単独ではできないでしょうから、パートナーの企業と一緒に?
磯村 ええ。いま、うちの店舗設計・建設、厨房設備・メンテナンスのチームと話したり、パートナー企業(ベンダー)と話したりしています。いま、エネルギーコストが上がっているので、それを抑える意味でも必要な取り組みだと思います。
入山 需要予測と設備を掛け合わせたエネルギーコントロールの仕方は、考えたこともありませんでした。でも、トリドールHDが変えていったら、相当のインパクトがありますね。
磯村 サステナビリティとDXをどうやって両立させるか考えたとき、私たちにとって身近だった問題がこの2つ――エネルギー消費と食品ロスの課題でした。これらをマネジメントしていくことが、次のステップだと考えています。
入山 ありがとうございます。最後に、トリドールHDのDX推進をけん引された磯村さんが、DXに悩む日本企業にアドバイスをするとしたら、どんなことでしょうか。
磯村 DXという言葉の持つ印象からか、なにがなんでもデジタルを使わなくてはいけないような話になってしまいがちだと思います。そういう考えにとらわれているようであれば、いったんデジタルを置いといて、どうしたら、会社の業務が最適な状態になるのか――そこをよく考えて、そのために必要なデジタル化、システム活用を当てはめていくと、理想形が描けると思います。
入山 まさにおっしゃるとおりですね。DXは、目的を実現するための、ただの手段ですから。最も大事なのは、目的です。デジタルをサポートするベンダーさんの悩みとしてよく聞くのが、いろんな企業が「DXをやりたい」と言ってくると。ベンダーさんは「DXは手段ですから、そもそも御社は何を目指して、具体的にどういうことがやりたいんですか」と聞くと、返ってくるのは「それはわからないけれど、でもDXはやりたいんだ」と(笑)。それでは、取り違えていますよ。
磯村 DXは手段である――これは、とても大事だと思います。DX推進にあたって、私がトリドールHD社長の粟田と最初によく話していたのが、ミッションである「食の感動体験」の探求や、ビジョンである「グローバルフードカンパニー」を目指していくという内容でした。
結局、こうしたミッション、ビジョンを実現するためのDXでなければ、取り組む意味がないと思います。私自身、社長の粟田との対話の中から、店舗のマネジメント業務をデジタルの力で簡略化するという発想が生まれ、それがだんだんと形を成し、トリドールHDらしいDX推進への方向性ができました。なによりも、DXの目的がミッションやビジョンを達成するためのものであるという紐づけができると、社内でみんなが一丸となって、力強く取り組みを推進していけるのではないかと思います。
入山 日本の最先端のDX事例についての話が聞けて、私も本当に勉強になりました。磯村さん、本日はどうもありがとうございました。
磯村 入山さんにはうまく話を引き出していただき、こちらこそありがとうございました。
入山章栄(いりやま・あきえ)プロフィール
早稲田大学大学院 早稲田大学ビジネススクール教授。慶應義塾大学経済学部卒業、同大学院経済学研究科修士課程修了。三菱総合研究所で主に自動車メーカーや国内外政府機関へのコンサルティング業務に従事した後、 2008 年に米ピッツバーグ大学経営大学院より博士号( Ph.D.) を取得。同年、米ニューヨーク州立大学バッファロー校ビジネススクール助教授に就任。 13 年に早稲田大学ビジネススクール准教授、19年から現職。著書に『 世界の経営学者はいま何を考えているのか 』『 ビジネススクールでは学べない世界最先端の経営学 』、『世界標準の経営理論』はベストセラーとなっている。
磯村康典(いそむら・やすのり)プロフィール
株式会社トリドールホールディングス執行役員CIO/CTO兼BT本部長。大学卒業後、富士通へ入社しシステムエンジニアに。ネット黎明期にソフトバンク社に入社し、その後、小売業等の数社でECシステム開発・運用責任者を務める。2008年にガルフネット社 執行役員に就任し、飲食業向けITシステム・アウトソーシングサービスの開発・営業責任者を担い、12年Oakキャピタル 執行役員に就任し、事業投資先であるベーカリーやFMラジオ放送局等の代表取締役を務めながらハンズオンによる経営再建に従事。19年から現職。